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 店は静かだった。一番混雑する昼時も遠のき、ちょう ど客足が途切れたためだ。ケイが空になったカゴを片付け始めたので、エールも斜め後方の棚に向かった。
 棚に並んでいたジャムは、だいぶ数が減っていた。エールは奥のほうにあるジャムを、手に取りやすい位置へと並べなおす。
 エールの働く店は、パンとともに自家製のジャムも売り物にしている。たくさんの果物を使用して丁寧に作られたジャムは、甘いだけではなく程よい酸味が客に受けて、人気商品となっている。エールも一度だけ「しっかり働いてくれているご褒美」として店主から一瓶もらったことがあるので、人気の理由はよくわかっている。
 彼女が瓶を並べ終えると、カララン・・・とドアチャイムの心地よい音が店内に響いた。
 慌てて振り返り、さわやかな笑顔で「いらっしゃいませ」と口にしてから、彼女は気付いた。
 入口にたたずんでいるのは、上品な服をまとった明るい茶色の髪の青年。
「ジェイ・・・」
 一度驚きの表情を浮かべたものの、次の瞬間にはあふれんばかりの幸福な笑みがそれを覆い隠す。
「あの・・・ごめん。しばらく会いにこられなくて。その・・・いろいろ・・・家のほうがごたごたして・・・」
 ジェイは視線を泳がせながら謝った。
 だがその内容は聞き取りにくく、外を通る人々の話し声や馬車の音に溶けてしまうようだった。
「ジェイ?」
 まっすぐに瞳を見つめて話をする、朗らかな彼らしくない言動。エールの胸にはズシリと重たいものが落ち込んだ。

 二人はそれきり口を開かない。
 ジェイのほうは今や俯き、靴のつま先あたりに視線を落として動かない。エールは、そのジェイのやわらかな前髪を見つめたままだ。
 店の空気が変わったことを感じ取ったケイは、二人の様子に眉をひそめた。軽く息をつくと、手にしていたカゴをカウンターに置いた。
 その音はたいした音ではなかったのだが、エールとジェイの耳にはえらく大きく響いたらしい。
 止まっていた二人はびくりと体を震わせ、現実の時間の流れに戻ってきた。
「エール、外へ出てきたらどうだい?今の時間はお客さんもほとんど来やしないから、構わないよ」
 ケイは見かねて声をかけた。
 口調こそ荒いが、その言葉の端々に二人を心配する気配がうかがえる。
「え、ええ・・・じゃあ、少しの間だけ・・・。お願いします」
 おずおずと返事をすると、エールはジェイとともに店を出て行く。
 店内には再びドアチャイムの音が響いた。だが、その音色はひどく重苦しく聞こえた。

 

 二人は、エールの働くパン屋から程近い公園に来ていた。どちらも何も言わなかったが、自然にこの場所へ足が向いていた。いつも二人が会っていた公園へ・・・
 そこには、ふざけて走り回る子供や、ベンチでうたた寝をする老人の姿があった。
 何気ない午後の風景。その中に自分たちだけが溶け込めないでいる。エールには、そう感じられた。
「何か・・・あったの?」
 やっとの思いでそう尋ねながら、息苦しさを覚える。
 その問いに、ジェイは暗い瞳を向けた。彼女の大好きな、翠の瞳がくすんで見える。
「両親からナージェ家の令嬢との婚約を勧められてる」
 彼の口からつむがれた言葉が、鋭い刃物となってエールの心を深くえぐった。
 ナージェ家の令嬢といえば、流れるような美しい金髪に抜けるような白い肌と澄んだ青い瞳の持ち主。その上、才媛の誉れ高い人物である。ジェイとは家柄もつりあい、まさに良縁といえよう。
「・・・・・・・・」
 エールは黙っていた。何も言うことができなかった。まるで頭の中が空っぽになったかのようだ。衝撃を受けているにも関わらず、心の中は静まり返っていた。もっとも、それとて海が荒れる前兆と同じものであったろう。
「エール・・・!」
 ジェイの呼びかけを合図に、彼女は走り出していた。

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